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ロマーノ・レヴィ
Romano Levi ロマーノ・レヴィ
17歳の時から、2008年に惜しくも亡くなってしまうまで、60年以上ただひたすらグラッパを造り続けていたロマーノ。世界にただひとつだけのロマーノの手描きラベルは、かわいいイラストや短いコメントが詩的とも哲学的とも称えられ、彼が亡くなった今も世界中のコレクターを魅了し続けています。
「君はそもそもアーティストなのか?それとも詩人なのか?」
「...そのどちらでもない。ただグラッパを造っている。」
(故ルイジ・ヴェロネッリ氏がロマーノを訪ねた時の二人の会話)
ラベルだけではない、本物の味
ただラベルがかわいらしいだけで、世界中のグラッパ愛好家をこれほどまでに夢中にさせられるわけがない。人々が空瓶を収集するのではなく、わざわざ外国から出向いて来てまで貴重な一本を手に入れようとやっきになるのは、グラッパの味そのものにも理由があると考える方が自然だ。
自然炎の直火式蒸留釜、無補糖・無香料
現在大手の蒸留所で使用されている蒸留器はおそらく99%以上が湯煎式の蒸留器であり、また熱源はガスがほとんど。ごく少数のアルティジャーノな(職人による)蒸留所の中には薪で加熱しているところもありますが、その場合でも昔ながらの直火式は温度調節が非常に難しいため使用されていません。実際ロマーノの蒸留釜でも、30年以上専属で働いている職人がいるのにもかかわらず、温度調節だけはロマーノ本人でないとうまくいかなかったと聞きます。そしてロマーノは熱源に薪ではなく、蒸留し終わった後に残るヴィナッチャのカスをプレスして乾燥させたものを再利用し、さらにその灰はブドウ畑に撒いて肥料にする、というより完結したエコサイクルを実現していました。それは「環境問題に敏感だ」といったレベルではなく、「自然からの恵みを感謝の気持ちとともに大地に戻してあげる」という昔の農民であれば誰もが持っていた謙虚な態度なのではないでしょうか。
また蒸留にあたっては一切補糖を行わず(悲しいことですが、市場に出回るほとんどのグラッパは補糖されています)、もちろん人工の香料なども使いません。イタリアにおいてもマーケットの主流をゆくのは口当たりの良い、過度にまろやかなタイプのグラッパたち。そういった工業製品に慣らされてしまった人がレヴィのグラッパを飲んで「キツイ」「雑味がある」などと批判することも少なくありません。本物の味というのは、どこの国でも見つけにくくなってきているのでしょうか。
ロマーノのグラッパができるまで
原料となるヴィナッチャ(ワインの絞り糟)は、近くのワイン農家の人々から直接購入している。昔はモスカートを多く蒸留していたようだが、後半はネッビオーロを主に使用。多くの造り手はヴィナッチャを持っていくかわりに出来上がったグラッパを分けてもらう、というやり方を好む。アンジェロ・ガヤからは、ロマーノの庭になるファヴォリータというぶどう(食べても美味しい)との物々交換でヴィナッチャをもらっていたとか。
収穫時期になると、毎日沢山の造り手がヴィナッチャを届けにやってくる。一日に蒸留できる量には限りがあるため、いったん庭にある巨大な貯蔵穴にヴィナッチャを埋め、翌年の4、5月まで少しずつ掘り起こして使うのだ。ヴィナッチャは腐敗を防ぐため砂をかけられるので、寒いこの地方では春まで天然の冷蔵庫のような状態に保たれるという仕組み。
毎日、早朝から蒸留作業は始まる。ロマーノが父から受け継いだ、戦前からずっと使用している直火式の釜でゆっくりと蒸留されたグラッパは、直接木樽に移され熟成期間に入る。ロマーノは桜、オーク、アカシア、栗などさまざまな種類と大きさの木樽を使い分けており、どの材質で、どのくらい長い歳月熟成したかによって、 その出来上がりの色と風味は大きく違ってくる。アルコール度数が60度以上もあるリゼルヴァクラスは、長期間の熟成中に木肌を通してアルコールの一部が気化されてしまうので、一切水を加えずそのままボトリングされる。
一方ノーマルタイプと、ハーブ入りのタイプは加水されてアルコール度数を48〜54程度に調節。ロマーノの庭には一年を通してさまざまな野生のハーブが咲き乱れていて、ロマーノの姉リディアがそのひとつひとつの効用、組み合わせを考えながら丁寧に手摘みした草花が、ボトルの中でエメラルドグリーンやペールブルーの美しい色を生み出していた(現在彼女は病気がちなため、ハーブ入りのボトルの生産は非常に限られてしまった)。
この、たった1本のグラッパを手に入れるためには
彼のグラッパはイタリア国内においても一般市場に出回っていない。アルバのワインショップなどに高値で見かけられるグラッパは、全て個人的に購入したものを再販売しているのだ。そこで、毎日世界中からたくさんの訪問客がロマーノの家のチャイムを鳴らすことになる。電話もない彼の家には、直接訪ねていくしか方法がないからだ。けれど、運よく会ってもらえてもすぐにグラッパを手に入れられるわけではない。ボトリング済みの在庫があれば一本だけ予約させてもらえるが、ラベルが描きあがる2、3日後に再び戻ってくるというプロセスを踏まなければならない。
世界にたった一つきり、あなただけが持っている手描きラベル
販売する直前に一本一本描かれるあの個性的なラベルは、ロマーノが彼をとりまく季節の移り変わりや年中行事、ネイヴェの丘を元気に跳ね回る子供たちの様子などから触発されて、その日の気分で描き分けるもの。心に残る出会いがあると、その気持ちを即興で詩に詠んで描く時も。
セラフィーノ・レヴィ蒸留所とドンナ・セルヴァーティカのストーリー
1925 ロマーノの父セラフィーノが現在のネイヴェ(ピエモンテ)に 蒸留所を起こす
1928 ロマーノ誕生
1933 セラフィーノが他界。ロマーノの母が一人で蒸留所を続ける
1945 当時17歳、学生だったロマーノが蒸留を手掛けることに
1962 始めての手書きラベルが登場
ただロマーノではなく、近所の女性サビーナさんが描いており50〜100枚程度描いた時点で疲れてしまい、やむなくロマーノが描きはじめることに。この頃のラベルはまだ文字だけのデザイン。
1970年代 文字だけのラベルの中に“ウォーモ・デルバティコ”(野生の男)という言葉が登場。「野暮ったいただの農民」の自分を指して言った言葉。
1977 ついに有名な“ドンナ・セルバーティカ”がラベルに登場
青い瞳の「ドンナ・セルバーティカ」が白いラベルにデザインされアップでデビュー
1982 イタリアのベルガモにて「ロマーノ・レヴィのラベル、ボトル展」開催
《晩年のロマーノは白内障などの症状が出始め、凝ったデザインのボトルは描かれなくなってしまいました。オークションにもかけられる「ドンナ・セルバーティカ」シリーズも、その後多く描かれなかったため、彼が亡くなってしまった今、その希少さは増す一方です。》
ロマーノ・レーヴィは1928年生まれのおじいさん。蒸留所兼自宅にはいまだに電話が無く、彼のグラッパを手に入れるためには通常直接行くしか方法がなく、1本のグラッパを求め世界中から人々が訪れる。
1年に600〜700Lの樽で平均15〜20樽を蒸留する。レーヴィ蒸留所は1925年にロマーノの父親であるセラフィーノ・レーヴィによって作られた。ところが、長年の悲願だった蒸留施設開設のわずか数年後に、セラフィーノが夭逝。その後最愛の母親を爆撃で失った1945年から自ら蒸留を手がけるようになる。
父親から受け継いだ戦前の直火式蒸留機(現代の蒸留機は直火ではなく、熱源と原料の間に水の入った部分があって、その蒸気で原料を温める、湯せんのようなシステム)を使い頑ななまでに昔ながらの製法を貫く。燃料には、蒸留後のヴィナッチャ(ワインを醸造したときに出るぶどうの搾りかす)をトルキオ(木製のブドウを搾る機械)を使い水気を除き、2-3年外で乾燥させたものを使い、その灰はブドウ畑に撒かれる。
使用するヴィナッチャはガヤを始めとする造り手のもの(昔Leviはその対価として、ガヤには自宅の庭になった、ワインにも使うが食べても美味しいらしいファヴォリータ種のブドウをあげていたそう)。ネッビオーロのヴィナッチャを主に使う。この、搾りかすのぶどうの果皮をレーヴィは庭に二つの巨大な穴を掘って埋め、翌年の4-5月まですこしずつ掘り起こして蒸留に使っている。貯蔵用の穴には、空気を抜いて腐敗を防ぐ為に上から砂がかけられ、収穫時期のあと急激に冷え込むこの地方では春まで搾りかすは天然の冷蔵保存状態に置かれる。蒸留されたグラッパは直接樽へと入れられ、熟成庫で1年から10年寝かせられる(ものによっては20年以上…)。
樽に使用されている木の種類、熟成年数や樽の使用年数により、出来上がりのグラッパの色はさまざま。ノーマルタイプとハーブ入りのグラッパはボトリング前に加水され、48-54度程度になる。一方リゼルヴァクラスのグラッパは長期間の樽熟成期間中にアルコールの一部が気化してしまうのみで一切加水を行なわない。そのため、アルコール度数は60度以上にもなる。ラベルのデザインも季節やロマーノ自身の気分などにより変わってくる。樽材に使用される木は、トネリコ(アオダモなどもこの属)、サクラ、オーク、アカシア、栗。トネリコとサクラの樽に入ったグラッパは5-6年後でも白い(透明)、オークは茶色、10年くらい入っていると焦げ茶色、アカシアは縁の部分が赤がかった茶色で栗は縁が緑がかった茶色。その日ラベルの出来上がった分だけを手作業でボトリング。ハーブ入りのグラッパにハーブを入れる作業は、ロマーノのお姉さんが担当。《 輸入元資料より 》