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ヨスコ・グラヴネル
Josko Gravner ヨスコ・グラヴネル
「その当時に“最新技術”と呼ばれていたものは一通り試してきた。私自身若かったし、やる気に満ち満ちていた。このあたりから父との(ワイン造りに関する)意見の不一致が始まっていったんだけどね…。かつての私のモットーは、“多かろう、良かろう(美味しかろう)”。つまり、よりリッチでたくさんの要素があればあるほど美味しいワインであると考えていたし、そこに辿り着くためには今日ありとあらゆるワイナリーに存在する全てのモノ(設備、機械)が必要なのだと固く信じていた。最新の技術に魅せられ、度を越した意欲で溢れていた私を見て、父はいつか私自身の歩みを取り戻すことを期待しながら笑顔で見守ってくれていたんだろうね。実際に父の思惑通り、ステンレスタンクから始まってバリックに至るまでの過剰な醸造設備を徐々に処分していくことになるのだけど…。5000年以上に渡って続いてきたワイン醸造の伝統歴史が、たった数十年(の出来事、その間に生まれた技術論)で書き換えられることなどあってはならない。私のセラーには、あらゆるテクノロジーも特殊効果も存在しない。コーカサス地方からやってきたアンフォラがオスラーヴィアの大地に抱かれながら休む場所…。私は(このセラーの)シンプルさと機能性を愛してやまない。」
このHPからの抜粋は、“カンティーナ(セラー)”という章の全訳になります。とても簡潔ですが今現在の彼のワイン観や“美味しさ”に対する考えが余すことなく盛り込まれている気がします。
意図的に、そして技術を駆使して生み出される美味、仮にその味筋が時流に乗るものだったり、大多数に好まれるものだとしても、もはや自分は興味がない。美味しいよりも何よりもワインはワインとして真正(ホンモノ、伝統に則った、真っ当)でなければならない。真正なワインたらしめるためには、母なる大地への畏怖の念と偉大なワインの歴史に対しての敬意を忘れてはならない。その畏怖の念と敬意を持ち合わせていたのならば、畑では自然を観察しようと努め、自然界との調和の取れた農業のあり方を模索するだろうし、セラーでも“造り手”としての我を殺し、ただただブドウ、ワイン、微生物たちにとって居心地の良い環境を創出することだけを心がけ、自然の流れやリズムに身を委ねるような醸造方法を採用するはず。
このような考えのもとに生まれたワインには、ブドウ、テロワール、ヴィンテージの個性が余すことなく表現される。それら個性は、自然の持つ多様性、神秘性が表出したものとも言え、それこそがワインが持つべき“美しさ”(=美味しさ)である。とどのつまりは、“狙った美味しさではなく 自然に備わった美味しさ”といった感じになるのかと。(輸入元案内より抜粋)
ラディコン、カステッラーダ、ダリオ・プリンチッチ・・・。
当店でご案内する自然派のフリウリワインの品質には絶対的な自信を持っておりますが、改めて当店のお客様にはお試し頂きたい生産者、そして絶対に忘れてはいけないのがヨスコ・グラヴネルです。
白ワインの醗酵にはなんと8〜9ヶ月。うち、アンフォラ(土製の甕)にて半年醗酵ののち大樽で2年半の熟成を経てリリースされます。口に含むとテクニック云々と言うのが馬鹿らしくなるほどに葡萄の力が見事に反映されており、とてつもなく複雑でパワーを感じる白ワインです。目隠しをして飲むと白ワインとは思えず、赤ワインと答えてしまうかも?
グラヴネル氏はジャーナリズム嫌いのため、大きくメディアに取上げられることは殆どありません。しかしながらブレッグの2000年などはフリウリの偉大な年を見事に反映し、ガンベロロッソではトレビッキエリ、ヴェロネリでは95点★★★(青)の最高評価を獲得しています。偏屈で有名なカーゼ・バッセのジャンフランコ・ソルデーラが「偉大なワインは赤以外考えられないが、自分で白を買うならばグラヴネルを選ぶ」と彼として最大限の賛辞を送り絶賛しています。
1997年から実験的に行っていたアンフォラ(テラコッタ製の壺)での醸造を2001年より正式に採用。グルジア産のアンフォラでの醗酵・熟成を正式に導入した2001年は大成功を収め、ヨスコ・グラブネル自身も『やっと自分が造りたかったワインが出来た!60歳までには本当の意味で最高のワインが出来そうだ』と本人も大納得。今後はリボッラに集中するため、ソーヴィニョンやピノグリージョは植え替え、赤品種はピニョーロに切り替えていくとのこと。
(注:この文章は2007年前後のレポートです)
(注:表記をヨスコ・グラヴナーからグラヴネルに変更しました)。